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山風 (白露型駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
山風 (白露型駆逐艦)[やまかぜ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山風 : [やまかぜ]
 (n) mountain wind
: [ふう, かぜ]
  1. (adj-na,n,n-suf) method 2. manner 3. way 
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
白露 : [はくろ]
 (n) morning dew
: [ろしあ, つゆ]
 1. Russia 2.Dew
: [かた]
 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

山風 (白露型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
山風 (白露型駆逐艦)[やまかぜ]


山風(やまかぜ)は、日本海軍駆逐艦#日本軍艦集2600年版p.41『一等驅逐艦 山風(やまかぜ) 基準排水量1,368噸、長さ102.24米、幅9.67米、平均吃水2.77米、速力34節、備砲12.7糎砲5門、魚雷發射管8門、起工昭和10年5月25日、進水昭和11年2月21日、竣工昭和12年6月30日、建造所浦賀船渠會社―五月雨と同型。白露、時雨は昭和11年、村雨、夕立、春雨、江風、海風は同12年に夫々竣工した。』〕。一等駆逐艦白露型の8番艦(海風型駆逐艦/改白露型2番艦)である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|白露型|白露、時雨、村雨、夕立、春雨、五月雨、海風、山風、江風、涼風』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては海風型駆逐艦「山風」に続いて2隻目(初代山風は第八号掃海艇と改名)〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.94『海風型(二隻)』〕〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.221『◎驅逐艦海風外三隻ヲ掃海艇ニ變更ニ付命名ノ件 昭和五年六月一日(達六七) 驅逐艦海風、山風、楢、榎ヲ掃海艇ニ變更ニ付左ノ通命名ス 第七號掃海艇(驅逐艦海風)/第八號掃海艇(驅逐艦山風)/第九號掃海艇(驅逐艦楢)/第十號掃海艇(驅逐艦榎)』〕。本艦は1942年(昭和17年)6月下旬、日本本土近海で米潜水艦ノーチラスの雷撃により沈没した〔#撃沈戦記Ⅲ44-45頁『「その後の「山風」』〕〔#叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』〕。白露型最初の喪失艦となった。
==艦歴==

=== 太平洋戦争まで ===
1934年(昭和9年)11月24日、浦賀船渠で建造予定の駆逐艦に『山風(ヤマカゼ)』、藤永田造船所で建造予定の駆逐艦に『江風(カハカゼ)』、鴻型水雷艇3隻に、それぞれ艦名が与えられる〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦山風外一隻水雷艇鵯外二隻及掃海艇命名ノ件 昭和九年十一月二十四(達二〇一) 艦艇製造費ヲ以テ昭和九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻水雷艇三隻掃海艇一隻ニ左ノ通命名ス|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 ヤマカゼ|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 カハカゼ| 株式會社石川島造船所ニ於テ建造 水雷艇 ヒヨドリ|横濱船渠株式會社ニ於テ建造 水雷艇 ハヤブサ|株式會社日本産業大阪鐡工所ニ於テ建造 水雷艇 カササギ|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十八號掃海艇』〕。
同日附で、6隻(山風、江風、鵯、隼、鵲、第18号掃海艇)はそれぞれ艦艇類別等級表に登録された〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和九年十一月二十四日(内令四九五) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部白露型ノ項中「海風」ノ下ニ「、山風、江風」ヲ加フ|水雷艇ノ部鴻型ノ項中「鴻」ノ下ニ「、鵯、隼、鵲」ヲ加フ|掃海艇ノ部第十三号型ノ項中「第十七號」ノ下ニ「、第十八號」ヲ加フ』〕。
本艦は浦賀船渠1935年(昭和10年)5月25日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『山風|(艦諸元略)|浦賀船渠會社|10-5-25|11-2-21|12-6-30|(兵装略)』〕〔『艦名 山風(ヤマカゼ)/龍骨据付ノ日 昭和十年(一九三五年)五月二十五日(以下略)』〕。
1936年(昭和11年)2月21日進水〔『○驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニテ建造中ノ驅逐艦山風昨二十一日午後三時四十五分進水セリ』〕〔。当事の浦賀船渠は白露型3隻(時雨五月雨、山風)を同時に建造していた〔『○艦船所在【浦賀】(司令駆逐艦)夕暮有明/(時雨)(五月雨)(山風)』〕。
7月1日、日本海軍は野間口兼知少佐(前職、睦月型駆逐艦5番艦皐月駆逐艦長)を山風艤装員長に任命した〔昭和12年7月1日付 官報第3013号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959495 p.3で閲覧可能。〕。
1937年(昭和12年)1月21日、浦賀船渠に山風艤装員事務所を設置〔『○艤装員事務所設置 驅逐艦山風艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社浦賀工場ニ設置シ本月二十一日ヨリ事務ヲ開始セリ』〕。
5月31日、姉妹艦2隻(江風海風)により第24駆逐隊が編制される(司令久宗米次郎大佐)〔昭和12年06月01日付 官報第3121号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959604 p.8〕〔#海軍制度沿革(巻4、1939)pp.71-72『昭和一一.一二.一(内令四七一)|佐世保鎮守府|第二十四驅逐隊|桃、柳、樫、檜|海風、江風(一二.五.三一 二五九)/山風(一二.六.三〇 三〇五)/涼風(一二.八.三一 五五九)|樫(一二.五.一 二〇二)/桃、柳、檜(一二.五.三一 二五九)』〕。初代司令駆逐艦は「江風」〔『○司令驅逐艦指定 第二十四驅逐隊司令代理ハ去月三十一日司令驅逐艦ヲ江風ニ指定セリ』〕。「江風」は本艦よりも先に竣工していたのである〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『江風|一等駆逐艦|(艦要目略)|藤永田造船所|10-4-25|11-11-1|12-4-30|(艦装備略)』〕。
編制直後の第24駆逐隊は佐世保警備戦隊に編入、同戦隊は(戦艦《金剛》、巡洋艦《妙高長良北上》、第24駆逐隊、第23駆逐隊《菊月三日月望月夕月》、第29駆逐隊《追風疾風》)となった〔#海軍制度沿革(巻4、1939)p.51『昭和一一|一二.一(内令四七四)|佐世保警備戰隊|妙高、北上、長良、阿武隈/能登呂/第二十三驅逐隊/第二十九驅逐隊/第二十一水雷隊|昭和十二年 二.一〇(内令六三)金剛/五.三一(内令二六一)第二十四驅逐隊/八.三一(内令五六〇)朝潮/一〇.一(内令六五九)第二十七驅逐隊/一〇.一〇(内令六九一)第一砲艦隊/一〇.二〇(内令七三三)第二十二驅逐隊 第二十八驅逐隊/一〇.三一(内令七六四)第二十五驅逐隊|昭和十二年 四.一五(内令一五七)阿武隈 能登呂/五.一(内令二〇四)第二十一水雷隊/七.二八(内令三六七)妙高 北上 第二十三驅逐隊 第二十四驅逐隊 第二十九驅逐隊/一〇.三一(内令七六四)朝潮』〕。
6月30日、「山風」は竣工した〔。同日附で野間口艤装員長は山風駆逐艦長(初代)となる〔昭和12年7月1日付 官報第3147号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959630 p.9で閲覧可能。〕。佐世保鎮守府所属〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.18『・艦艇、特務艦本籍別一覧表』〕。竣工と同時に、佐世保へ回航〔『○驅逐艦山風行動豫定』〕。「山風」は6月30日附で、姉妹艦「涼風」は8月31日附で、順次第24駆逐隊に編入される〔。7月18日、24駆司令駆逐艦は「江風」から「山風」に変更〔『○司令驅逐艦變更 第二十四驅逐隊司令ハ本月十八日司令驅逐艦ヲ江風ヨリ山風ニ變更セリ』〕。7月28日、各艦各隊(妙高、北上、第23駆逐隊、第24駆逐隊、第29駆逐隊)は佐世保警備戦隊から除かれた〔。
第24駆逐隊の初実戦は、第二次上海事変(昭和12年)だった。中国大陸沿岸に進出後、同年9月2日には、軽巡2隻(由良鬼怒)、小型艦艇(子日春雨、海風、山風、隼、千鳥)で対地砲撃を実施する〔#揚子江方面作戦(1)p.16『九.二|由良、鬼怒、子日、春雨、海風、山風、隼、千鳥|呉淞砲台劉河鎮方面砲撃』〕。12月には南京攻略戦にともなう揚子江遡上作戦に従事した〔#揚子江方面作戦(1)p.13『十二月(略)第一警戒部隊 11S 2wg 3wg 24dg|呉淞上流揚子江|南京遡江作戰 戰場整理蕪湖ニ至ル水路啓開確保 陸軍作戰協力 史那船舶交通遮断 魯港攻撃萩港進出』〕。
1938年(昭和13年)10月5日附で野間口少佐は吹雪型駆逐艦「浦波」駆逐艦長へ転任(後日、陽炎型駆逐艦6番艦「夏潮」初代駆逐艦長等等を歴任)。吉川潔少佐が本艦二代目艦長に任命された(吉川は9月15日まで睦月型3番艦「弥生」駆逐艦長)。
また12月15日附で第24駆逐隊司令久宗米次郎大佐は迅鯨型潜水母艦2番艦長鯨艦長へ転任する〔後日、久宗大佐は軽巡川内艦長、重巡青葉艦長、戦艦長門艦長、山城艦長等を歴任〕。後任の24駆司令は中川浩大佐となった〔。
1939年(昭和14年)10月15日附で江風駆逐艦長横井稔中佐が朝潮型駆逐艦1番艦朝潮駆逐艦長に転じた事にともない、吉川中佐は白露型2隻(山風、江風)艦長兼務を命じられる。
11月15日、峯風型駆逐艦7番艦羽風駆逐艦長豊島俊一少佐は本艦三代目駆逐艦長に任命され、吉川中佐は江風駆逐艦長に専念することになった。
1940年(昭和15年)10月19日附で中川24駆司令は古鷹型重巡洋艦1番艦古鷹艦長へ転任〔後日、中川は軽巡阿賀野艦長等を歴任。第三水雷戦隊司令官としてサイパン島の戦いで戦死した〕。後任の24駆司令には第27駆逐隊司令松原博大佐が任命された〔後日、松原大佐は軽巡阿賀野艦長、空母翔鶴沈没時艦長等を歴任〕〔。11月、第24駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦那珂)に編入された。
1941年(昭和16年)2月3日有明海東方で訓練中に「山風」は僚艦「涼風」と衝突〔#S1602涼風日誌p.5『2月3日|2F策人用応用教練参加中山風ト觸衝ス、有明湾回航取止ム』〕、「山風」は艦首下部を失う損害を受けた。
この頃、陽炎型駆逐艦16番艦「」が舞鶴海軍工廠で竣工した(同年1月27日)。「山風」の艦名を漢字縦書きすると『』と読めるため、2隻(山風、嵐)の間で郵便物の誤配送が多発〔『○郵便物宛名ニ關スル件 本艦宛郵便物ト驅逐艦嵐宛ノモノトハ相互ニ混同セラレ易キニ付宛名ハ山ト風ヲ離シテ明確ニ記載相成度。(驅逐艦山風)』〕。山風側は「山」と「風」の間を開いて書くよう要請している〔。また嵐側も同じ悩みを抱えており、同艦が所属する第4駆逐隊(司令有賀幸作大佐)は、艦名に振り仮名を添付して「嵐(アラシ)」と表記するよう通達した〔『○書類竝ニ郵便物表記方ニ關スル件 驅逐艦嵐ト山風トハ字體見誤易キ爲書類ノ誤送不達等甚ダ多ク事務處理上遺憾ニ不堪候條書類及郵便物ノ發送ニ當リテハ其ノ表記ニ十分注意相成候度 追テ事故防止ノ爲自今左ノ通艦名ニ振假名ヲ添付相成度「驅逐艦 嵐アラシ」(第四驅逐隊)』〕〔百人一首には『吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ』(第22番文屋康秀作)がある。〕。
7月25日附で第24駆逐隊司令は平井泰次大佐に交代〔後日、平井は軽巡名取艦長として戦死〕。
9月10日附で豊島(山風駆逐艦長)は陽炎型12番艦磯風駆逐艦長へ転任。睦月型9番艦菊月艦長や初春型駆逐艦4番艦初霜艦長を歴任した浜中脩一少佐が山風駆逐艦長に任命された(後任の初霜艦長は古浜智少佐)〔。
11月26日附で第24駆逐隊は第三艦隊司令長官高橋伊望中将の指揮下に入り、フィリピンの戦いに従事すべく日本本土を出発した〔#24dg支那事変第10回功績p.2『(略)一.十一月二十六日 新軍隊區分實施第四九州隊(指揮官第一根據地隊司令官)トシテ菲島作戰ニ関シ第三艦隊司令長官ノ指揮下ニ入リ同日「パラオ」ニ向ケ寺島水道ヲ進發ス』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山風 (白露型駆逐艦)」の詳細全文を読む




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